ひとりもいない説は、政府に聞いてくださいネ
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小学生が急性放射線障害で死亡した?これは、不確実と思います。
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無事を祈るだけです。
【放射能漏れ】原発から5キロの作業写真公開 放射線量高い遺体を扱う警察官 - MSN産経ニュース
---全文転載
原発から5キロの作業写真公開 放射線量高い遺体を扱う警察官
2011.3.30 22:33
福島県警は、福島第1原発から約5キロの同県大熊町で27日に見つかった遺体を管理する模様を撮った写真を30日、報道陣に公開した。遺体の放射線量が高く、被曝(ひばく)する危険があったため、防護服に身を包んだ警察官が収容を断念、白い遺体袋に入れて付近に安置する瞬間をとらえている。
警察庁によると、遺体があるとの通報を受け、県警機動隊員や検視官、放射線計測班ら15人が駆けつけ遺体を発見。持参した測量計で遺体の表面を測定したところ、除染が必要な基準を上回ったとしている。
遺体は地震や津波発生直後から、原発事故による放射線を浴び続けていたとみられる。
---転載終わり
遺体が放射線を浴び続けたのか?放射線を浴び続けて遺体になってしまったのかは不明
福島・双葉病院「患者置き去り」報道の悪意。医師・看護師は患者を見捨てたりしていなかった(追記あり) - 絵文録ことのは - BLOGOS(ブロゴス)
苦渋の90人放置 患者440人、避難死45人−−福島・双葉病院 - 毎日jp(毎日新聞)
---全文転載
東日本大震災:苦渋の90人放置 患者440人、避難死45人−−福島・双葉病院
◇4キロ先の原発、水素爆発 職員に警官「逃げるしか」
東京電力福島第1原発の南西約4キロにある双葉病院(福島県大熊町)の患者らが、原発事故を受けた避難中や避難後に死亡した問題で、死者は患者ら約440人中約45人に上る見通しであることが分かった。県は病院に一時90人が放置された点などを調査しているが、災害で医療機関や施設の患者ら全員の緊急避難が困難になる事態は国も想定しておらず、今後も同様の問題が起きる恐れがある。避難の経緯で何があったのか。【藤田剛、茶谷亮、蓬田正志】
■バス6時間
県などによると、同病院には東日本大震災発生当時、約340人の入院患者がおり、近くにある系列の介護老人保健施設にも約100人の入所者がいた。津波などの被害はなかったが、電気や水道は使えなくなった。
震災翌日の3月12日、原発の10キロ圏内に避難指示が出された。病院と施設の自力歩行できる患者ら209人と多くの職員が避難したが、寝たきりの患者らはできない。鈴木市郎院長によると同日、県へ救助を要請した。
14日早朝。被ばくの有無を調べるスクリーニング検査の会場となっている福島県南相馬市の保健福祉事務所に官邸からファクスが届いた。「要救助者リスト」の中に双葉病院の名があった。
ほどなく、陸上自衛隊が救出した同病院の患者ら約130人がバスで到着。大半が寝たきりや認知症の高齢者で、具合も悪そうだった。同行の病院職員はおらずカルテもない。副所長の笹原賢司医師(45)は不安を覚えつつスクリーニングをした。午後2時、患者らはバスでいわき市の避難所に向かった。
いわき市までの直線距離は約70キロだが、バスは途中にある原発を避けて大きく迂回(うかい)。いわき光洋高校に着いたのは約6時間後で、田代公啓校長はがくぜんとした。車中で2人が死亡し、他の患者の多くも点滴を外して失禁していた。同校に医療設備はなく、患者の名も分からなかった。
体育館にシートや畳を敷き、校内の机を担架にして2時間がかりで患者を運び込んだ。同校に応援に来ていた看護師はカーテンを裁断してオムツにした。15日未明、2人が息絶えた。「助けてください」。校長は地元FMで支援を求めた。
■3日間絶食
鈴木院長によると、そのころ病院には患者ら約90人と院長ら病院職員4人、警察官、自衛官が残っていた。原発事故は深刻化し、陸自も救出に来ない。自衛官は原発の爆発後、「戻らなければいけない」と病院を離れたという。15日午前1時ごろには警察官から「逃げるしかない」と言われ、患者を残して隣の川内村に避難。同6時にも爆発音があり、警察官から「戻るのはあきらめた方がいい」と諭されたという。県警幹部の一人は「最初の救出の後、自衛隊がまた来るという話があったので待っていたが、来なかった(から退避した)と聞いている」と話した。
一方、原発近くのオフサイトセンターでは陸自の幹部が焦っていた。救出担当部隊から「双葉病院にはまだお年寄りがいる」と連絡があったのに、行政の職員は「県警から避難は完了したと聞いている」の一点張りだったからだ。15日午前に病院に行くと、院内各所に寝たきりの患者がおり、異臭に包まれていた。幹部は「少なくとも患者一人一人の名前が分かり、カルテがあれば、もっと救える命があったはず」と話す。
陸自に救出された約90人は同県伊達市や福島市の避難所に向かったが、その前後に計10人が死亡。福島赤十字病院によると、患者は3日間何も食べられずに脱水症状を起こしていた。
■冷え切る体
いわき光洋高校の患者らはその後、会津地方の病院などを目指した。うち21人が乗ったバスは15日に県立会津総合病院に到着。多くの人の体は冷え切っており、看護師の一人は「危ない人がいる」と叫んだ。同日夜以降、死亡する人が相次ぎ、4月11日までに計6人が亡くなった。
4人を受け入れた会津若松市内の老健施設でも、当初は看護師が「ばっちゃん、生きてっか」と呼びかけても反応がないほど衰弱していた。1カ月ほどして双葉病院の職員が訪れ、「見捨てたわけではない。連れて行けなかったんです」と原発事故の混乱を口にした。患者の一人は「では、なぜ今まで迎えに来なかった」と怒った。
■みとられず
4月6日、県警は双葉病院で患者4人の遺体を発見した。遺族の佐藤和彦さん(47)=富岡町=は福島署川俣分庁舎の駐車場で父久吾さん(87)の遺体と対面し、「誰にもみとられずに死んでいったのか」と涙が出た。
父の行方を捜して避難先の東京から連日、避難所などを訪ねていた。署で会った鈴木院長が差し出した死亡診断書は「3月14日午前5時12分死亡、死因は肺がん」。「本当にがんだけが理由か。なぜ、院内に放置したのか」と尋ねたが、「すいません」と言うだけで詳しい説明はなかった。大半の職員が避難した後、父はどんな状況で死んだのか。佐藤さんは「真実が知りたい」と訴える。関係者によると、死者はこのほかにも相次ぎ、計約45人に上るという。
■対策の想定外
国は新潟県中越地震などで高齢者らの逃げ遅れが相次いだことを受け05年、自力で避難できない高齢者ら「災害時要援護者」の避難支援ガイドラインを策定、市町村に要援護者のリストアップや避難支援計画の作成を求めた。大熊町は09年4月に同計画を作った。
だが、想定しているのは在宅の高齢者や障害者。病院や福祉施設の患者・入所者が一斉に施設外への避難を強いられたケースは異例で、「入院患者や入所者は施設で対応してもらうのが基本」(内閣府)だった。大熊町の担当者も「病院側と連絡が取れず、県や自衛隊とも情報共有できなかった。入院患者は想定外だった」と話す。
双葉病院の鈴木市郎院長は3月17、21日の取材に「原発の爆発があり、病院に戻れなかった。患者を放置したわけではない」と話した。その後は病院関係者を通じ「内部で調査が終わってから話したい」としている。
==============
■双葉病院の避難の経緯■
<3月11日>
午後2時46分 東日本大震災発生
午後9時23分 原発3キロ圏に避難指示
<3月12日>
午前5時44分 原発10キロ圏に避難指示
午後2時ごろ 双葉病院の患者ら209人と職員が避難。
院内に約220人が残る
午後3時36分 1号機で水素爆発
午後6時25分 避難指示が20キロ圏に拡大
<3月14日>
早朝 自衛隊が双葉病院到着。患者ら約130人を救助。
院内に約90人が残る
午前11時1分 3号機で水素爆発
<3月15日>
午前1時ごろ 院長らが避難。
患者ら約90人は院内に
午前6時 2号機で爆発音。4号機で水素爆発
午前10時〜正午ごろ 自衛隊が双葉病院から患者ら約90人を救助
<4月6日> 県警が病院から患者4人の遺体を収容
毎日新聞 2011年4月26日 東京朝刊
---転載終わり
避難死45人
入院患者衰弱死の現場「想像以上」 原発事故で避難も…医師語る 特集・M9.0東日本大震災 福井のニュース :福井新聞
---全文転載
入院患者衰弱死の現場「想像以上」 原発事故で避難も…医師語る
(2011年3月24日午前7時58分)
福島第1原発の20キロ圏内にあるとして避難指示を受けた双葉病院(福島県大熊町)の入院患者ら21人が救出後に衰弱死した問題で、人体への放射線の影響を調べるスクリーニングと治療の優先順位を決めるトリアージに携わった医師が「想像以上に悲惨だった」と当時の状況を語った。
福井の災害派遣医療支援チーム(DMAT)を率いた福井県立病院の林寛之さん(49)。双葉病院から支援要請を受けた自衛隊が14日から3回にわたり計146人を救出し、林さんは最後のグループ35人の治療に当たった。
林さんによると、16日昼ごろ「大熊町の病院で自衛隊員が患者を発見。スクリーニングを受けておらず避難所に入れない」と連絡を受け、患者の搬送先になっていた二本松城(福島県二本松市)の駐車場に駆け付けた。
白い防護服に身を包んでバスに乗り込むと、思わず息をのんだ。マットレスと掛け布団にくるまれた高齢の男女が座席にあふれ、衰弱しきっているのかほとんど動かない。排せつ物で汚れた布団。通路にも何人かが横たわり、女性が「足が、足が」と、か細い声でうめいていた。
患者の被ばく線量を計測しようと、座席の肘掛けの上を伝い歩きして奥へ移動。男女1人ずつが亡くなっているのが一目で分かり、調査よりも治療を急いだ。
「先生、座席3番の人は意識不明です」「座席15番は死後硬直が始まってます」。看護師の切迫した声が車内に響く。脈を測りながら呼び掛けたが、応えたのは4人に1人。ほとんどは脱水症状を起こして意識がない。カルテがないため氏名や既往症も分からず、20人弱の心拍はみるみるうちに弱っていった。
消防に交渉し救急車を2台呼んだ。脈がかすかにある男性2人を近くの病院に運んだが、1人は途中で呼吸が止まり間もなく死亡。別の病院には、心拍の弱った女性2人と男性1人を搬送した。
「しっかりせーの」。看護師が福井弁で元気づけた。水を飲ませていいのか戸惑う県職員に「飲める人には飲ませて」と叫んだ。点滴を打とうと腕に駆血帯を巻いたが、脱水症状で肌が乾き、血管は浮き出てこない。
残りの搬送順は、意識レベルと呼吸で決めた。病院での高度医療が期待できないため、点滴や抗生物質だけで助かりそうな人を優先した。
受け入れ可能な病院はすぐになくなり、避難所に救護所が設置された。「すぐ心臓が止まりそうな患者もいる。助かりそうな人から治療してくれ」と担当医に伝えた。
翌日、さらに数人が亡くなったと聞いた。「避難指示圏内の病院へのサポートは十分とはいえなかった」と林さん。福島県災害対策本部は助かった患者らの消息をいまだに把握しきれていない。
---転載終わり
被ばく線量の記載はありません
双葉厚生病院の3人、「除染」後も高い放射線量 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
---全文転載
双葉厚生病院の3人、「除染」後も高い放射線量
12日に水素爆発が起きた東京電力福島第一原子力発電所1号機(福島県大熊町、双葉町)から3キロ圏内にある双葉厚生病院の関係者3人が、同日に放射性物質を洗い流す「除染」後の検査でも高い放射線量の値を示したため、第2次被曝医療機関に搬送されていたことがわかった。
総務省消防庁によると、病院関係者は自力避難が困難な入院患者21人と一緒に、避難。搬送に協力した消防隊員約60人のうち、3人の検査でも、通常時の2倍程度の放射線が検出されたため、隊員60人の除染を行ったという。
(2011年3月14日11時08分 読売新聞)
---転載終わり
注意:双葉病院と双葉厚生病院は別の病院ではある
“子どもの尿に放射性物質” NHK・長瀧重信は、楽観。わたしは、大問題と判断。
でも指摘していますが、
一般に、
放射線障害は、「急性障害」と「晩発性障害」に区分されています。
「急性障害」は、原発作業のような状況で大量被ばくによる障害です。一般公衆は考えなくて良いです。
「晩発性障害」は、早くて年単位、通常は10年単位くらい後に発生するガンなどの疾病です。
しかし、
「第3の放射線障害」が存在します。低線量内部被ばくによる健康被害と考えられます。
原爆「ぶらぶら病」や湾岸戦争症候群やベラルーシなどでの慢性的な健康被害として、知られています。
疫学的には証明されていませんので、無いことになっている健康被害です。
共通している症状は、疲労感・倦怠感・下痢などのようです。免疫力の低下と考えれば、病気一般です。ストレスによる体調不良とも似ています。
完全に放射線だけの影響では無いかもしれませんが、身体が弱っている状態で大量の放射線を浴びてしまえば、持病の悪化などを通して、間接的に死に至る可能性は高いと言えます。
【意見映像】福島の小学生が急性放射線障害で死亡した?
小学生が急性放射線障害で死亡した?これは、不確実と思います。
【放射能】被曝して隔離された女の子の写真が話題に | ラジック
無事を祈るだけです。
【放射能漏れ】原発から5キロの作業写真公開 放射線量高い遺体を扱う警察官 - MSN産経ニュース
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原発から5キロの作業写真公開 放射線量高い遺体を扱う警察官
2011.3.30 22:33
福島県警は、福島第1原発から約5キロの同県大熊町で27日に見つかった遺体を管理する模様を撮った写真を30日、報道陣に公開した。遺体の放射線量が高く、被曝(ひばく)する危険があったため、防護服に身を包んだ警察官が収容を断念、白い遺体袋に入れて付近に安置する瞬間をとらえている。
警察庁によると、遺体があるとの通報を受け、県警機動隊員や検視官、放射線計測班ら15人が駆けつけ遺体を発見。持参した測量計で遺体の表面を測定したところ、除染が必要な基準を上回ったとしている。
遺体は地震や津波発生直後から、原発事故による放射線を浴び続けていたとみられる。
---転載終わり
遺体が放射線を浴び続けたのか?放射線を浴び続けて遺体になってしまったのかは不明
福島・双葉病院「患者置き去り」報道の悪意。医師・看護師は患者を見捨てたりしていなかった(追記あり) - 絵文録ことのは - BLOGOS(ブロゴス)
苦渋の90人放置 患者440人、避難死45人−−福島・双葉病院 - 毎日jp(毎日新聞)
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東日本大震災:苦渋の90人放置 患者440人、避難死45人−−福島・双葉病院
◇4キロ先の原発、水素爆発 職員に警官「逃げるしか」
東京電力福島第1原発の南西約4キロにある双葉病院(福島県大熊町)の患者らが、原発事故を受けた避難中や避難後に死亡した問題で、死者は患者ら約440人中約45人に上る見通しであることが分かった。県は病院に一時90人が放置された点などを調査しているが、災害で医療機関や施設の患者ら全員の緊急避難が困難になる事態は国も想定しておらず、今後も同様の問題が起きる恐れがある。避難の経緯で何があったのか。【藤田剛、茶谷亮、蓬田正志】
■バス6時間
県などによると、同病院には東日本大震災発生当時、約340人の入院患者がおり、近くにある系列の介護老人保健施設にも約100人の入所者がいた。津波などの被害はなかったが、電気や水道は使えなくなった。
震災翌日の3月12日、原発の10キロ圏内に避難指示が出された。病院と施設の自力歩行できる患者ら209人と多くの職員が避難したが、寝たきりの患者らはできない。鈴木市郎院長によると同日、県へ救助を要請した。
14日早朝。被ばくの有無を調べるスクリーニング検査の会場となっている福島県南相馬市の保健福祉事務所に官邸からファクスが届いた。「要救助者リスト」の中に双葉病院の名があった。
ほどなく、陸上自衛隊が救出した同病院の患者ら約130人がバスで到着。大半が寝たきりや認知症の高齢者で、具合も悪そうだった。同行の病院職員はおらずカルテもない。副所長の笹原賢司医師(45)は不安を覚えつつスクリーニングをした。午後2時、患者らはバスでいわき市の避難所に向かった。
いわき市までの直線距離は約70キロだが、バスは途中にある原発を避けて大きく迂回(うかい)。いわき光洋高校に着いたのは約6時間後で、田代公啓校長はがくぜんとした。車中で2人が死亡し、他の患者の多くも点滴を外して失禁していた。同校に医療設備はなく、患者の名も分からなかった。
体育館にシートや畳を敷き、校内の机を担架にして2時間がかりで患者を運び込んだ。同校に応援に来ていた看護師はカーテンを裁断してオムツにした。15日未明、2人が息絶えた。「助けてください」。校長は地元FMで支援を求めた。
■3日間絶食
鈴木院長によると、そのころ病院には患者ら約90人と院長ら病院職員4人、警察官、自衛官が残っていた。原発事故は深刻化し、陸自も救出に来ない。自衛官は原発の爆発後、「戻らなければいけない」と病院を離れたという。15日午前1時ごろには警察官から「逃げるしかない」と言われ、患者を残して隣の川内村に避難。同6時にも爆発音があり、警察官から「戻るのはあきらめた方がいい」と諭されたという。県警幹部の一人は「最初の救出の後、自衛隊がまた来るという話があったので待っていたが、来なかった(から退避した)と聞いている」と話した。
一方、原発近くのオフサイトセンターでは陸自の幹部が焦っていた。救出担当部隊から「双葉病院にはまだお年寄りがいる」と連絡があったのに、行政の職員は「県警から避難は完了したと聞いている」の一点張りだったからだ。15日午前に病院に行くと、院内各所に寝たきりの患者がおり、異臭に包まれていた。幹部は「少なくとも患者一人一人の名前が分かり、カルテがあれば、もっと救える命があったはず」と話す。
陸自に救出された約90人は同県伊達市や福島市の避難所に向かったが、その前後に計10人が死亡。福島赤十字病院によると、患者は3日間何も食べられずに脱水症状を起こしていた。
■冷え切る体
いわき光洋高校の患者らはその後、会津地方の病院などを目指した。うち21人が乗ったバスは15日に県立会津総合病院に到着。多くの人の体は冷え切っており、看護師の一人は「危ない人がいる」と叫んだ。同日夜以降、死亡する人が相次ぎ、4月11日までに計6人が亡くなった。
4人を受け入れた会津若松市内の老健施設でも、当初は看護師が「ばっちゃん、生きてっか」と呼びかけても反応がないほど衰弱していた。1カ月ほどして双葉病院の職員が訪れ、「見捨てたわけではない。連れて行けなかったんです」と原発事故の混乱を口にした。患者の一人は「では、なぜ今まで迎えに来なかった」と怒った。
■みとられず
4月6日、県警は双葉病院で患者4人の遺体を発見した。遺族の佐藤和彦さん(47)=富岡町=は福島署川俣分庁舎の駐車場で父久吾さん(87)の遺体と対面し、「誰にもみとられずに死んでいったのか」と涙が出た。
父の行方を捜して避難先の東京から連日、避難所などを訪ねていた。署で会った鈴木院長が差し出した死亡診断書は「3月14日午前5時12分死亡、死因は肺がん」。「本当にがんだけが理由か。なぜ、院内に放置したのか」と尋ねたが、「すいません」と言うだけで詳しい説明はなかった。大半の職員が避難した後、父はどんな状況で死んだのか。佐藤さんは「真実が知りたい」と訴える。関係者によると、死者はこのほかにも相次ぎ、計約45人に上るという。
■対策の想定外
国は新潟県中越地震などで高齢者らの逃げ遅れが相次いだことを受け05年、自力で避難できない高齢者ら「災害時要援護者」の避難支援ガイドラインを策定、市町村に要援護者のリストアップや避難支援計画の作成を求めた。大熊町は09年4月に同計画を作った。
だが、想定しているのは在宅の高齢者や障害者。病院や福祉施設の患者・入所者が一斉に施設外への避難を強いられたケースは異例で、「入院患者や入所者は施設で対応してもらうのが基本」(内閣府)だった。大熊町の担当者も「病院側と連絡が取れず、県や自衛隊とも情報共有できなかった。入院患者は想定外だった」と話す。
双葉病院の鈴木市郎院長は3月17、21日の取材に「原発の爆発があり、病院に戻れなかった。患者を放置したわけではない」と話した。その後は病院関係者を通じ「内部で調査が終わってから話したい」としている。
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■双葉病院の避難の経緯■
<3月11日>
午後2時46分 東日本大震災発生
午後9時23分 原発3キロ圏に避難指示
<3月12日>
午前5時44分 原発10キロ圏に避難指示
午後2時ごろ 双葉病院の患者ら209人と職員が避難。
院内に約220人が残る
午後3時36分 1号機で水素爆発
午後6時25分 避難指示が20キロ圏に拡大
<3月14日>
早朝 自衛隊が双葉病院到着。患者ら約130人を救助。
院内に約90人が残る
午前11時1分 3号機で水素爆発
<3月15日>
午前1時ごろ 院長らが避難。
患者ら約90人は院内に
午前6時 2号機で爆発音。4号機で水素爆発
午前10時〜正午ごろ 自衛隊が双葉病院から患者ら約90人を救助
<4月6日> 県警が病院から患者4人の遺体を収容
毎日新聞 2011年4月26日 東京朝刊
---転載終わり
避難死45人
入院患者衰弱死の現場「想像以上」 原発事故で避難も…医師語る 特集・M9.0東日本大震災 福井のニュース :福井新聞
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入院患者衰弱死の現場「想像以上」 原発事故で避難も…医師語る
(2011年3月24日午前7時58分)
福島第1原発の20キロ圏内にあるとして避難指示を受けた双葉病院(福島県大熊町)の入院患者ら21人が救出後に衰弱死した問題で、人体への放射線の影響を調べるスクリーニングと治療の優先順位を決めるトリアージに携わった医師が「想像以上に悲惨だった」と当時の状況を語った。
福井の災害派遣医療支援チーム(DMAT)を率いた福井県立病院の林寛之さん(49)。双葉病院から支援要請を受けた自衛隊が14日から3回にわたり計146人を救出し、林さんは最後のグループ35人の治療に当たった。
林さんによると、16日昼ごろ「大熊町の病院で自衛隊員が患者を発見。スクリーニングを受けておらず避難所に入れない」と連絡を受け、患者の搬送先になっていた二本松城(福島県二本松市)の駐車場に駆け付けた。
白い防護服に身を包んでバスに乗り込むと、思わず息をのんだ。マットレスと掛け布団にくるまれた高齢の男女が座席にあふれ、衰弱しきっているのかほとんど動かない。排せつ物で汚れた布団。通路にも何人かが横たわり、女性が「足が、足が」と、か細い声でうめいていた。
患者の被ばく線量を計測しようと、座席の肘掛けの上を伝い歩きして奥へ移動。男女1人ずつが亡くなっているのが一目で分かり、調査よりも治療を急いだ。
「先生、座席3番の人は意識不明です」「座席15番は死後硬直が始まってます」。看護師の切迫した声が車内に響く。脈を測りながら呼び掛けたが、応えたのは4人に1人。ほとんどは脱水症状を起こして意識がない。カルテがないため氏名や既往症も分からず、20人弱の心拍はみるみるうちに弱っていった。
消防に交渉し救急車を2台呼んだ。脈がかすかにある男性2人を近くの病院に運んだが、1人は途中で呼吸が止まり間もなく死亡。別の病院には、心拍の弱った女性2人と男性1人を搬送した。
「しっかりせーの」。看護師が福井弁で元気づけた。水を飲ませていいのか戸惑う県職員に「飲める人には飲ませて」と叫んだ。点滴を打とうと腕に駆血帯を巻いたが、脱水症状で肌が乾き、血管は浮き出てこない。
残りの搬送順は、意識レベルと呼吸で決めた。病院での高度医療が期待できないため、点滴や抗生物質だけで助かりそうな人を優先した。
受け入れ可能な病院はすぐになくなり、避難所に救護所が設置された。「すぐ心臓が止まりそうな患者もいる。助かりそうな人から治療してくれ」と担当医に伝えた。
翌日、さらに数人が亡くなったと聞いた。「避難指示圏内の病院へのサポートは十分とはいえなかった」と林さん。福島県災害対策本部は助かった患者らの消息をいまだに把握しきれていない。
---転載終わり
被ばく線量の記載はありません
双葉厚生病院の3人、「除染」後も高い放射線量 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
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双葉厚生病院の3人、「除染」後も高い放射線量
12日に水素爆発が起きた東京電力福島第一原子力発電所1号機(福島県大熊町、双葉町)から3キロ圏内にある双葉厚生病院の関係者3人が、同日に放射性物質を洗い流す「除染」後の検査でも高い放射線量の値を示したため、第2次被曝医療機関に搬送されていたことがわかった。
総務省消防庁によると、病院関係者は自力避難が困難な入院患者21人と一緒に、避難。搬送に協力した消防隊員約60人のうち、3人の検査でも、通常時の2倍程度の放射線が検出されたため、隊員60人の除染を行ったという。
(2011年3月14日11時08分 読売新聞)
---転載終わり
注意:双葉病院と双葉厚生病院は別の病院ではある
“子どもの尿に放射性物質” NHK・長瀧重信は、楽観。わたしは、大問題と判断。
でも指摘していますが、
一般に、
放射線障害は、「急性障害」と「晩発性障害」に区分されています。
「急性障害」は、原発作業のような状況で大量被ばくによる障害です。一般公衆は考えなくて良いです。
「晩発性障害」は、早くて年単位、通常は10年単位くらい後に発生するガンなどの疾病です。
しかし、
「第3の放射線障害」が存在します。低線量内部被ばくによる健康被害と考えられます。
原爆「ぶらぶら病」や湾岸戦争症候群やベラルーシなどでの慢性的な健康被害として、知られています。
疫学的には証明されていませんので、無いことになっている健康被害です。
共通している症状は、疲労感・倦怠感・下痢などのようです。免疫力の低下と考えれば、病気一般です。ストレスによる体調不良とも似ています。
完全に放射線だけの影響では無いかもしれませんが、身体が弱っている状態で大量の放射線を浴びてしまえば、持病の悪化などを通して、間接的に死に至る可能性は高いと言えます。