いるかちゃんの子どもを守れ。反アベ自公政権

「子どもを守れ」とは、まともな文明国になれという意味です。子どもに20ミリシーベルトが許せなかったのが原点です。脱原発からの政治問題からのプライベートな事も書きます。民主主義と立憲主義を取り戻そう!被曝から子どもを守れ!脱原発!マスコミ、官僚、政治家は、電力原発利権のために国民を欺いています!コストが高く危険な原発を廃炉にしよう!アベ政権の悪行に加担しながら官僚の横暴が復活しています!アメリカ隷属も加速!嘘と詭弁のアベ自公政権を倒そう!選挙に行こう!

日本政府やWHO・IAEA・ICRPは、チェルノブイリでのセシウム健康被害は”ゼロ” だと言っています。
わたし達やECRRは、チェルノブイリでの健康被害の”教訓” を生かすべきだと言っています。
あなたは、どちらを信じますか??

福島医大

研究者の苦悩 医療現場に不安拡大 : 「福島医大がパニックだ。すぐに来てほしい」

記事に、間違いがあれば指摘。および、簡単なコメントをします。



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第二部 安全の指標(2) 研究者の苦悩 医療現場に不安拡大 2013/03/14 12:05
 平成23年3月11日。長崎大大学院医歯薬学総合研究科長の山下俊一(60)=現福島医大副学長=は東京都の厚生労働省で全国の医大関係者が集まる会議に出席していた。山下の隣に座ったのが福島医大理事長の菊地臣一(67)だった。互いに顔を合わせるのは初めてだった。
 会議が終了して間もなく、東日本大震災が発生した。2人は被害状況を確認しながら慌ただしく大学に戻った。翌12日の午後3時36分、東京電力福島第一原発1号機で水素爆発が起きた。文部科学省から連絡を受けた長崎大は東北支援チームの態勢を整え、13日に放射線防護を専門とする先導生命科学研究支援センター教授の松田尚樹(56)ら5人を本県に派遣した。
 同じころ、菊地は本県唯一の二次被ばく医療機関のトップとして、不眠不休で震災と原発事故の対応に当たっていた。

山下の隣に座ったのが福島医大理事長の菊地臣一だった ・・ 隣に座っていなければ来なかったかな?

 長崎大医療チームは15日に福島医大に入った。同日未明に東京電力福島第一原発の2号機、4号機でも爆発音や火災が相次いだことを受け、福島医大に大規模爆発に備えた被ばく医療拠点をつくる必要があった。
 空間放射線量を調べる松田の測定器の値は15日夕、急上昇した。日中は毎時1マイクロシーベルトを示していたが、午後4時55分には毎時8マイクロシーベルトに達した。県の調査では、福島市の県県北保健福祉事務所で午後5時、毎時20マイクロシーベルトを超えていた。
 放射線量の上昇に比例し、福島医大は混乱した。「ここで医療を続けていいのか」「逃げるべきだ」。医療スタッフの間でも放射線への不安は瞬く間に広がった。

福島医大は、福島市としては低い放射線量でした。3分の1くらい。
うちから逃げるなら福島医大だと思ってましたぁぁ。馬鹿でしたぁぁ。

 長崎大医療チームから連絡を受けた山下は教え子で長崎大大学院医歯薬学総合研究科教授の高村昇(44)を追加派遣することを決めた。長崎大は平成19年から5年間、国際競争力を高めるための文部科学省のプログラム「放射線健康リスク制御国際戦略拠点」の指定を受け、放射線健康リスクの解明などに取り組んできた実績があった。山下は、先に派遣したチームと高村で福島の混乱に対応できると考えていた。

山下俊一
高村昇
最悪のコンビの誕生ですね。

 17日夕。長崎県の地元テレビ局の出演を終えた山下の携帯電話が鳴った。6日前に会議で出会った菊地からだった。「福島医大がパニックだ。すぐに来てほしい」。当時、福島医大の放射線に対する知識は十分ではなく、原発事故による不安を静めるには放射線の専門家である山下の力が必要だった。
 山下は菊地の一言で福島行きを決めた。18日に飛行機を乗り継いで本県に入った。伊丹(大阪)空港から福島に向かう機内はがらがらだった。

隣に座っていなければ・・

福島医大の放射線に対する知識は十分ではなく ・・ お粗末すぎる
原発事故による不安を静める ・・ 結論ありきですね


※ 放射線に関する知識があれば、パニックになるのは理解できます。
福島県立医大の初期の状況を責めているのではなく、後の対応が不適切だと考えています。



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研究者の苦悩 福島の危機...緊急派遣 : 「福島医大が浮き足立っている。情報が交錯し、大変な状況です」

記事に、間違いがあれば指摘。および、簡単なコメントをします。



20130318_yamashita01
第二部 安全の指標(1) 研究者の苦悩 福島の危機...緊急派遣 2013/03/13 11:51
 福島市の福島医大。4月から長崎大に復職する副学長山下俊一(60)の自室には放射線に関する専門書が並ぶ。山下が長崎市から空路で福島空港に降り立ったのは、東京電力福島第一原発事故から1週間後の平成23年3月18日。以来、福島医大を拠点に放射線と健康に関する情報発信の最前線に立ってきた。
 「自分の知識を全て出した」。着任後、約2カ月間でこなした講演や対話は約30回に上った。1万人以上の県民と直接向き合い、放射線の健康リスクを伝えた。



 だが、ある時期を境に山下に対する風当たりが強まった。安全側に立ち過ぎている−。「御用学者」とのそしりも受けた。「放射線に対する世論がぼろぼろだった。国への不信感が全て自分に向いてしまった」と激動の2年間を振り返った。

いやいや、それは誤解です。
国へ対する批判
山下俊一先生に対する批判
は、別の問題として存在しています。
国に対する批判を山下俊一先生に向ける動きは、ネットではありませんでした。
ヘンな”専門家”が福島に行ってるという話題から、福島県・福島県知事への批判が高まりました。

 「3・11」当時、山下は長崎大大学院医歯薬学総合研究科長の職にあった。研究科は、長崎原爆の爆心地から南東に約500メートルほど離れた長崎市内にある。昭和37年に設立された原爆後障害医療研究施設を中心に、原爆による白血病やがんなどの後障害治療、放射線が人体に与える影響などを調査・研究してきた。
 山下自身、長崎原爆の被爆二世だ。長崎大医学部を卒業し、昭和61年に起きたチェルノブイリ原発事故の健康影響評価に20年以上携わってきた。世界保健機関(WHO)ジュネーブ本部で放射線プログラム専門科学官を務めるなど放射線医療の第一人者だった。

はい、山下俊一先生は第一人者でした。

山下俊一 : 『主として20歳未満の人たちで、過剰な放射線を被ばくすると、10〜100mSvの間で発がんがおこりうるというリスクを否定できません。(2009年3月) (参照

 原発事故直後、文部科学省の要請で長崎大から緊急被ばく医療チームの5人が本県に派遣された。山下と研究をともにしてきた「精鋭部隊」だった。千葉市の放射線医学総合研究所を経由し、14日に自衛隊のヘリコプターで本県に入った。15日から福島医大に拠点を構えた。
 山下が医療チームから報告を受けた福島医大の空間放射線量はピーク時で毎時10マイクロシーベルト前後だった。ただ、外部被ばく線量は建物による遮蔽(しゃへい)効果などで空間線量よりも低い。実際に医療チームが付けた個人被ばく線量計の値は1日当たり10マイクロシーベルトあったが、多く見積もった計算でも、発がんリスクが高まる100ミリシーベルトにすぐに達するような状況ではなかった。「100ミリシーベルト」は長年にわたる長崎、広島の被爆者の健康調査で導き出された数字だ。「慌てるようなレベルではない」。山下は冷静に受け止めていた。

福島医大は、福島市としては低い放射線量でした。
さらに、鉄筋コンクリートの立派な建物です。
原子力施設等の防災対策について (付属資料8)
20130314_teigen

 「福島医大が浮き足立っている。情報が交錯し、大変な状況です」
 3月15日、山下の元に電話が入った。長崎大の医師で緊急被ばく医療チームリーダーの大津留晶(55)=現福島医大教授=だった。
 当時、福島医大は震災の傷病者の受け入れに加え、東京電力福島第一原発で相次ぐ原子炉建屋の水素爆発で混乱を極めていた。応急処置を施す県内6つの初期被ばく医療機関のうち、震災と原発事故の影響で機能していたのは2病院だけだった。福島第一原発の作業員を含め、被ばく患者のほとんどは二次被ばく医療機関の福島医大に運ばれた。不眠不休で治療を続けるスタッフの精神状態は極限に達していた。
 この日、原発からの屋内退避が30キロ圏に拡大された。病院内では避難区域がさらに広がる最悪のシナリオを想定した対応も協議されていた。
 「緊張の糸が切れ、医療崩壊が一気に起こる可能性があった」。長崎大の医療チームは放射線リスクに関する情報発信が必要として山下に助けを求めた。
 だが、山下はすぐに福島に向かうつもりはなかった。

福島医大の医師が逃げ始めているというウワサは、デマという訳ではなかったのですね。

 東京電力福島第一原発事故当時、放射線が健康にどのような影響を与えるかについての情報が少なく、県民は不安に駆られた。放射線リスクをめぐる専門家や政府の対応、甲状腺検査や内部被ばく検査、リスクコミュニケーションの現状などを追う。

わたしも、妙な記事になっていないか?マスコミの現状を追う。



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